死に至る病
医師が偏在しているか?はともかく、少子化も実は偏在している。古いネタだが、 「産科医の " 絶望 " をなぜ書かぬ」(2006年5月25日 週刊文春 )より
産婦人科医たちに話を聞いていると、現場は考えられない状態にあると洩らす者が少なくない。ひとつは女子高生の中絶の増加だが、もうひとつは母親の自覚なき女性の " 多産 " と知的レベルの高い女性の " 少産 " である。こうしたホンネはなかなか表に出てこない。差別的発言と受け取られかねないからである。五十代の産婦人科医に聞くと、「二十年、三十年先という単位で見たら、日本人のなかでの能力差は大幅に開いているだろう」と洩らす者もいる。十代の女性が生活や仕事などになんの展望もないまま産むケースが多々ある一方、仕事や家庭を持ち、社会人として健全な生活を営んでいる女性がなかなか出産に踏み切らない。こうした実態を目の当たりにする産婦人科医は、休みなき日々の勤務や高まる一方の医療訴訟リスクと相侯って大きなストレスを感じているという。少子化で自分たちはいずれ必要なくなるのではないかという恐れもある。少子化について厚生労働省を始めとして、国の機関は危機意識をもって、とにかく産めよ増やせよ、とかけ声をかけている。だが、産婦人科医たちの視線は冷めている。だから、産婦人科医を志望する研修医も少なくなっているのではないか。
朝日は五月十四日付朝刊の一面で「出産の場急減分娩休止1年半で138病院」との見出しを掲げ、自社で行った全国調査の結果を発表している。それによれば産婦人科・産科の病院が、二〇〇四年秋に比べてこの四月末までに、八・三%も減っていたという。地域別では、東北、中部地方での減少が目立つほか、兵庫や千葉、福岡などでも産科が休止になっているとの結果を伝えている。原因はなにより産婦人科の医師不足で大学病院も産院への医師派遣を断らざるを得ない状態なのだとか。社会面では各地の困惑する状態をレポートしている。しかし、朝日の記事は、医師不足の理由として激務と訴訟リスクしか取りあげていない。各紙の同様の記事でもせいぜい少子化問題があげられる程度だ。産科医たちの現場に対する絶望を正面から深くえぐった記事が少ない。これでは新聞が厚生労働省のPR係と言われても仕方あるまい。
現行の、資金バラ撒き型の少子化対策では、母親の自覚なき(避妊はしない、妊娠したらとりあえず産む、育児については考えが及ばない)女性の " 多産 " と知的レベルの高い(妊娠・出産と育児を一連のものと考える、環境と状況が許さなければ妊娠しない)女性の " 少産 " の傾向を助長するばかりである。安く使える労働力が増えることで潤う業界もあるかもしれないが、質の低い粗悪な労働者ばかり増やしては生産性はむしろ下がってしまうのではないか。DQNの拡大再生産を促していて、この国の将来は一体どうなってしまうのだろう?
働く女性の結婚や妊娠を期に、退職を迫るような企業も未だに多い。相応の納税をして国に対しての責務を果たしている夫婦が、出産・育児を行いやすいような企業環境の整備や、所得税の控除など、社会人として健全な生活を営んでいる女性が出産したくなるような少子化対策は立てられないのだろうか。

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